2011年03月
2011年03月20日
5年ぶりのブログです。震災を通して、あらゆる情報がそれこそ津波のように押し寄せ、様々な感情、理論、精神論、多くのものに圧倒されながら、本当に何をするのが一番良いのかを考えたり、自分の非力を恥じたり、普段出せない力を出せたり、怒濤のような一週間だったと思います。
今のところ安全な横浜にいる自分にとっては、もうテレビやマスコミから流れてくる情報はお腹がいっぱいという感じです。被災地の人にとってはなんと贅沢な事と思うかもしれませんが、いま自分がご飯を食べなければ被災地の人が助かるという訳ではない。こんなデブがボランティアにいっても足手まといになるのは目に見えている。一度テレビから離れて自分が自分である価値について再考し、行き先を見据えるチャンスだと思う。
何か書こうとすれば不謹慎とか、今は目先の事に集中した方がよいとか、そいう批判を受けるので、感情を吐き出せずにいる人も多いんじゃないかな。でも、それだと大量のインプットに対して、アウトプットがちょっとしかなくって、全てを自分の中に溜め込む事になるから、精神的にとても疲れるんじゃないのかな。
で目先の事に集中するのは程々にしないと、将来のビジョンが見えないという不安に苛まれる事になる。原発にしたって、あれもし電源が復旧しても5年間は冷やし続けなければならないらしい。それでも、5年って見えてて、それまでのアクションプランが明確になれば、まだ頑張りようがあるよね。首都圏の人も、いつまで計画停電が続くのか、それに対するアクションプランをどうするのか、そういうビジョンがないと厳しい。たとえ10年でも、10年頑張ろう!と思えれば力が出てくる。
もひとつ思うのは、こんなときだからこそのダイバーシティってこと。東電が命がけで対処してるときに批判は何事だ、なんて話しもあるけど、批判もあって健全。応援する人は応援すればいい。応援しないやつは非国民だ、みたいなのは僕は偏狭だと思う。僕も感情の高まりでそんな事いった事もあるかもしれないけど、それは素直に反省。とにかくねぇ、個人を批判してもなにも得られないと思うんだよな。これは、組織とか公人に対する批判とは別物の気がするんだ。
AERA批判されてるねぇ。確かに防毒マスクとか表紙に出して煽ってるというのは否定できない。でも中吊りのキャッチはそれほどおかしな事書いてないよね。何に矛盾を感じるかというと、海外の報道機関は国内のマスコミよりも、もっとずっとセンセーショナルなタイトルを付け、ショッキングな写真を掲載している。そうすると、日本の報道機関は事実を隠しているという批判が出る。しかし、AERAがそれをやると煽っていると神経質になる。なんかおかしくないのかねぇ。
僕が地震以降考えている一番のテーマは「情報統制は必要か」という点。まぁ政府な「なにか」はやってるだろうなというのは個人的な感想ではあるが真偽はわからん。ただ、必要かどうかと尋ねられたら、ほとんどの人は「必要ない」と答えるんじゃないかな。でも、センセーショナルな報道はパニックを引き起こすからやめた方がよいと同時に思っていたりもする。後者はもしかすると、隠れ情報統制賛成派なんじゃないのかな。
いずれにしても、これらの主張は自称「Not情弱」な人から出てくる訳で、その違いは自分以外の多くの国民を「情弱」と見なしているか否かによるのではないかと思う。つまり、多くの国民は情弱だとみれば、情報統制をしないとパニックに陥るという主張となる。逆に国民はそれほど馬鹿でないと思えば、全てを明らかにし、時には煽られても日本人は冷静な判断ができると理解する。
どっちが正しいのかは自分の中でも結論が出ない。首都圏では物不足は起こらないといっても買いだめが起こっているのは現実の事。日本の石油備蓄は半年以上あるのにガソリンスタンドには長い列ができるのだ。当初自分は、これらの状況に否定的であり、恥ずかしい行為と思っていた。でも、最近はそれも違うように思えてきた。
自分は独身だし一人暮らしなので、食うものがなくなれば、その辺の草でも食べて食いつなぐし、五体満足なのでどこへでも徒歩で逃げる気力はある。たけど、小さい子供をもつ母親はどうだろう。仮に万が一でもスーパーからミルクが消え、食べ物が買えなくなったらと想像したら、理屈抜きで気が気ではなくなるのではないか。
そもそも世の中に絶対などということはない。絶対起こらないとされていた加速度の地震が新潟で起こり、絶対に安全といわれていた福島原発が危機的な状況に追い込まれた。突然首都圏から食料が無くならない事を誰が保証しうるだろうか。ともかく、あらゆる信頼を失われる事が現実に起こったのだ。今政府を信じろというのはいささか無理がある。
他の人がどう思おうが構わないが、僕は「日本は大丈夫だ」と思っている。根拠の無い自信だ。理屈もへったくれもない。何が何でも大丈夫だ。歌でも歌って音楽でもやってれば良いと思う。そんな思いで「Reconstruction JAPAN」というサイトを立ち上げた。
http://reconstruction.jp/
もし、どこか賛同頂ける事があれば、ブログにでもバナーを張って応援してもらえると嬉しい。
そんなこともともかく、隣の社長の家族の歌声でも聞いてリラックししてほしい。
今のところ安全な横浜にいる自分にとっては、もうテレビやマスコミから流れてくる情報はお腹がいっぱいという感じです。被災地の人にとってはなんと贅沢な事と思うかもしれませんが、いま自分がご飯を食べなければ被災地の人が助かるという訳ではない。こんなデブがボランティアにいっても足手まといになるのは目に見えている。一度テレビから離れて自分が自分である価値について再考し、行き先を見据えるチャンスだと思う。
何か書こうとすれば不謹慎とか、今は目先の事に集中した方がよいとか、そいう批判を受けるので、感情を吐き出せずにいる人も多いんじゃないかな。でも、それだと大量のインプットに対して、アウトプットがちょっとしかなくって、全てを自分の中に溜め込む事になるから、精神的にとても疲れるんじゃないのかな。
で目先の事に集中するのは程々にしないと、将来のビジョンが見えないという不安に苛まれる事になる。原発にしたって、あれもし電源が復旧しても5年間は冷やし続けなければならないらしい。それでも、5年って見えてて、それまでのアクションプランが明確になれば、まだ頑張りようがあるよね。首都圏の人も、いつまで計画停電が続くのか、それに対するアクションプランをどうするのか、そういうビジョンがないと厳しい。たとえ10年でも、10年頑張ろう!と思えれば力が出てくる。
もひとつ思うのは、こんなときだからこそのダイバーシティってこと。東電が命がけで対処してるときに批判は何事だ、なんて話しもあるけど、批判もあって健全。応援する人は応援すればいい。応援しないやつは非国民だ、みたいなのは僕は偏狭だと思う。僕も感情の高まりでそんな事いった事もあるかもしれないけど、それは素直に反省。とにかくねぇ、個人を批判してもなにも得られないと思うんだよな。これは、組織とか公人に対する批判とは別物の気がするんだ。
AERA批判されてるねぇ。確かに防毒マスクとか表紙に出して煽ってるというのは否定できない。でも中吊りのキャッチはそれほどおかしな事書いてないよね。何に矛盾を感じるかというと、海外の報道機関は国内のマスコミよりも、もっとずっとセンセーショナルなタイトルを付け、ショッキングな写真を掲載している。そうすると、日本の報道機関は事実を隠しているという批判が出る。しかし、AERAがそれをやると煽っていると神経質になる。なんかおかしくないのかねぇ。
僕が地震以降考えている一番のテーマは「情報統制は必要か」という点。まぁ政府な「なにか」はやってるだろうなというのは個人的な感想ではあるが真偽はわからん。ただ、必要かどうかと尋ねられたら、ほとんどの人は「必要ない」と答えるんじゃないかな。でも、センセーショナルな報道はパニックを引き起こすからやめた方がよいと同時に思っていたりもする。後者はもしかすると、隠れ情報統制賛成派なんじゃないのかな。
いずれにしても、これらの主張は自称「Not情弱」な人から出てくる訳で、その違いは自分以外の多くの国民を「情弱」と見なしているか否かによるのではないかと思う。つまり、多くの国民は情弱だとみれば、情報統制をしないとパニックに陥るという主張となる。逆に国民はそれほど馬鹿でないと思えば、全てを明らかにし、時には煽られても日本人は冷静な判断ができると理解する。
どっちが正しいのかは自分の中でも結論が出ない。首都圏では物不足は起こらないといっても買いだめが起こっているのは現実の事。日本の石油備蓄は半年以上あるのにガソリンスタンドには長い列ができるのだ。当初自分は、これらの状況に否定的であり、恥ずかしい行為と思っていた。でも、最近はそれも違うように思えてきた。
自分は独身だし一人暮らしなので、食うものがなくなれば、その辺の草でも食べて食いつなぐし、五体満足なのでどこへでも徒歩で逃げる気力はある。たけど、小さい子供をもつ母親はどうだろう。仮に万が一でもスーパーからミルクが消え、食べ物が買えなくなったらと想像したら、理屈抜きで気が気ではなくなるのではないか。
そもそも世の中に絶対などということはない。絶対起こらないとされていた加速度の地震が新潟で起こり、絶対に安全といわれていた福島原発が危機的な状況に追い込まれた。突然首都圏から食料が無くならない事を誰が保証しうるだろうか。ともかく、あらゆる信頼を失われる事が現実に起こったのだ。今政府を信じろというのはいささか無理がある。
他の人がどう思おうが構わないが、僕は「日本は大丈夫だ」と思っている。根拠の無い自信だ。理屈もへったくれもない。何が何でも大丈夫だ。歌でも歌って音楽でもやってれば良いと思う。そんな思いで「Reconstruction JAPAN」というサイトを立ち上げた。
http://reconstruction.jp/
もし、どこか賛同頂ける事があれば、ブログにでもバナーを張って応援してもらえると嬉しい。
そんなこともともかく、隣の社長の家族の歌声でも聞いてリラックししてほしい。
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