2005年01月15日
以前の記事(MasaGon日記|パブリック・ジャーナリスト応募)でご報告したように、MasaGonはLivedoorが募集している市民記者(パブリック・ジャーナリスト)に応募した。
Livedoorにパブリック・ジャーナリストとして登録され、ニュース記事を投稿出来るようになるためには、Livedoorが主催するジャーナリスト研修(8,000円)を受講する必要がある。本日、Livedoor本社(六本木ヒルズ森タワー38階)にて、丸一日をかけてジャーナリスト研修を受講してきたので、レポートさせて頂きたい。
Livedoorにパブリック・ジャーナリストとして登録され、ニュース記事を投稿出来るようになるためには、Livedoorが主催するジャーナリスト研修(8,000円)を受講する必要がある。本日、Livedoor本社(六本木ヒルズ森タワー38階)にて、丸一日をかけてジャーナリスト研修を受講してきたので、レポートさせて頂きたい。
結論から申し上げて、これは本当に期待以上の素晴らしい研修であった。確かに、わずか一日にして(とはいっても、朝9時から夕方6時半まできっちりスケジュールが組まれているのではあるが)、ジャーナリストを養成しようなどというのは無理がある、という批判もあるようであるが、限られた時間の中でジャーナリズムの本質とそのポリシー、市民記者(パブリック・ジャーナリスト)の必要性について余すところなく伝えようとしている、講師の小田氏の熱意がひしひしと伝わってきた。
ライブドアニュースセンター長補佐の小田光康氏は、共同通信、ロイター通信などの大手通信社などを経て、現在は日本初の株式会社大学として有名なデジタル・ハリウッド大学の客員教授、自然保護NPOの理事、農業なども行いつつ、自らパブリック・ジャーナリストとして活躍している。99年には、国内会計監査事件の報道で、米ニューヨーク州公認会計士協会賞・シルーリアン記者協会賞も受賞している。
なぜそのような蒼々たる経歴の持ち主が、マスコミとしては最弱小勢力である「ライブドアニュース」をサポートしているのか。MasaGonはそこに非常に興味を持っているのである。
折りしも世間は、NHKの特集番組の改編問題と、権力によるマスコミへの干渉問題で揺れており、MasaGonは「客観報道」「公正・中立な報道」「一方に偏らない報道」とは一体何なのであろうか、ということを必死で考えていたところであった。そして、自分の中で、絶対的に中立な報道というのは、そもそも「存在」としてあり得ないのではないだろうか、と思い始めた折も折、この研修で一つの解答が得られたのである。これはまさに「シンクロニシティ」というしかないであろう。
小田氏によれば、パブリック・ジャーナリズム(PJ)の流れは、その性質上「客観性・中立公平性」を絶対視しないため、既存の主流派ジャーナリズムからは批判の対象とされているとのこと。しかし、絶対的客観性というのは現実的には不可能な要求であろう。
MasaGonは、根本的に価値観の異なる二者(あるいはそれ以上の関係者)がお互いに相手のことを、「偏っている」「中立でない」と批判しあう状況を何度となく目にしている。彼らはどちらも、「謀略的に」とか「陰謀をもって」、あるいは相手を「陥れようとして」そう主張している訳ではなさそうである(本人たちは相手のことをそうは思っていないようであるが...)。ともに自らの主張が正しいという信念を持ち、正義感を持って「世のため人のために」にそのような主張をしているのである。
これら両者の意見に対し、「絶対的客観性」の判断を下せるのはおそらく(いるとすれば)神のみであろう。そもそも、ある記事を採り上げて記事とするかどうか、という判断を以ってして、既に「主観」が含まれているのである。ましてや人間が文章を書くのであるから、そこに主観が入り込まない方がおかしいのである。
余談であるが、小田氏によれば、今回のNHKの改編問題は4年前に既にジャーナリズムの一つの問題提起として研究会のテーブルに上がり、その時点で大手新聞社、テレビ局の記者も既に承知の沙汰であったということである。今、この時期にこのような問題が持ち上がってくること自体、茶番に思えてならない。情報コントロール合戦、狐と狸の化かし合いである。何が「客観報道」であろうかと思ってしまう。
MasaGonは、このような状況は現在の日本の大手マスメディアの縮図であると考えている。今回の件に限らず、さまざまな局面でこのような事が行われているのであろう。
では、どうすればそのような状況を打破できるのか。そのヒントの一つがパブリック・ジャーナリズム(PJ)にあるのではないだろうか。小田氏は大手マスコミの現在の「客観報道」の捉え方に疑問を持っている。一般に客観報道の定義の一つとして、記事に報道する者の意見を含まない(没評論性原則)というのがあるが、例え評論が含まれなくても、情報を恣意的にコントロールして世論を扇動することは可能である。というか、そちらの方がよほど危険度が高いであろう。
そんな現実的でない「絶対的客観性」を求めるのよりは、情報ソースを個人のレベルまで分散させ、例えその中に個人的意見や評論が含まれていようとも、数多くの意見や評論を市民に提供し、その取捨選択を市民の自己責任に任せるべきなのだと思うのである。既にネット上ではそのように物事を捉える人たちが多くなっている。
小田氏の「客観性」の捉え方は、取材過程で得た情報を科学的規律で「検証」する事であり。後に誰でもトレースでき、誰がトレースしても同じ結果が得られることである。決して意見や評論が含まれない事ではない。小田氏はまた以下のようにも述べている。
自らの考えを語らせるために情報源を選択し、客観的に見せるために中立の声を利用することは、詐欺行為である。
まさにその通りであり、MasaGonは既存のマスコミに対する警鐘と受け取った。今後ジャーナリズムにおけるネットの重要性はますます大きくなって行くことであろう。
研修自体は、ジャーナリズムの歴史から始まり、ジャーナリズムの原則などの理論等の解説の後、取材の仕方、記事の書き方、ニュースリリースを基にした記事の執筆実習、報道写真の撮り方等を学び、最後に修了試験として理解度チェックを行った。
余談であるが、今回が第一回目の「パブリック・ジャーナリスト研修」であったようであり、ライブドアTVのカメラが入り、個人取材やライブドアニュース記者による取材も行われていた。栄えある第一期生というのは気持ちが良いものである。ホリエモンの社長日記に反応して即座に応募したかいがあったというものである。幸運の女神に後ろ髪は無しである。参加者は30名ほどであったが、既に全国から500名近い応募が来ているそうである。
本日をもってして、MasaGonの名刺には「フリー・ジャーナリスト」または「パブリック・ジャーナリスト」の肩書きが加わることになる。身近な情報をご提供頂ければ幸いである。もちろん、MasaGonの投稿記事には編集デスクのチェックが入るので、没になっても文句を言わないように。(笑)
ライブドアニュースセンター長補佐の小田光康氏は、共同通信、ロイター通信などの大手通信社などを経て、現在は日本初の株式会社大学として有名なデジタル・ハリウッド大学の客員教授、自然保護NPOの理事、農業なども行いつつ、自らパブリック・ジャーナリストとして活躍している。99年には、国内会計監査事件の報道で、米ニューヨーク州公認会計士協会賞・シルーリアン記者協会賞も受賞している。
なぜそのような蒼々たる経歴の持ち主が、マスコミとしては最弱小勢力である「ライブドアニュース」をサポートしているのか。MasaGonはそこに非常に興味を持っているのである。
折りしも世間は、NHKの特集番組の改編問題と、権力によるマスコミへの干渉問題で揺れており、MasaGonは「客観報道」「公正・中立な報道」「一方に偏らない報道」とは一体何なのであろうか、ということを必死で考えていたところであった。そして、自分の中で、絶対的に中立な報道というのは、そもそも「存在」としてあり得ないのではないだろうか、と思い始めた折も折、この研修で一つの解答が得られたのである。これはまさに「シンクロニシティ」というしかないであろう。
小田氏によれば、パブリック・ジャーナリズム(PJ)の流れは、その性質上「客観性・中立公平性」を絶対視しないため、既存の主流派ジャーナリズムからは批判の対象とされているとのこと。しかし、絶対的客観性というのは現実的には不可能な要求であろう。
MasaGonは、根本的に価値観の異なる二者(あるいはそれ以上の関係者)がお互いに相手のことを、「偏っている」「中立でない」と批判しあう状況を何度となく目にしている。彼らはどちらも、「謀略的に」とか「陰謀をもって」、あるいは相手を「陥れようとして」そう主張している訳ではなさそうである(本人たちは相手のことをそうは思っていないようであるが...)。ともに自らの主張が正しいという信念を持ち、正義感を持って「世のため人のために」にそのような主張をしているのである。
これら両者の意見に対し、「絶対的客観性」の判断を下せるのはおそらく(いるとすれば)神のみであろう。そもそも、ある記事を採り上げて記事とするかどうか、という判断を以ってして、既に「主観」が含まれているのである。ましてや人間が文章を書くのであるから、そこに主観が入り込まない方がおかしいのである。
余談であるが、小田氏によれば、今回のNHKの改編問題は4年前に既にジャーナリズムの一つの問題提起として研究会のテーブルに上がり、その時点で大手新聞社、テレビ局の記者も既に承知の沙汰であったということである。今、この時期にこのような問題が持ち上がってくること自体、茶番に思えてならない。情報コントロール合戦、狐と狸の化かし合いである。何が「客観報道」であろうかと思ってしまう。
MasaGonは、このような状況は現在の日本の大手マスメディアの縮図であると考えている。今回の件に限らず、さまざまな局面でこのような事が行われているのであろう。
では、どうすればそのような状況を打破できるのか。そのヒントの一つがパブリック・ジャーナリズム(PJ)にあるのではないだろうか。小田氏は大手マスコミの現在の「客観報道」の捉え方に疑問を持っている。一般に客観報道の定義の一つとして、記事に報道する者の意見を含まない(没評論性原則)というのがあるが、例え評論が含まれなくても、情報を恣意的にコントロールして世論を扇動することは可能である。というか、そちらの方がよほど危険度が高いであろう。
そんな現実的でない「絶対的客観性」を求めるのよりは、情報ソースを個人のレベルまで分散させ、例えその中に個人的意見や評論が含まれていようとも、数多くの意見や評論を市民に提供し、その取捨選択を市民の自己責任に任せるべきなのだと思うのである。既にネット上ではそのように物事を捉える人たちが多くなっている。
小田氏の「客観性」の捉え方は、取材過程で得た情報を科学的規律で「検証」する事であり。後に誰でもトレースでき、誰がトレースしても同じ結果が得られることである。決して意見や評論が含まれない事ではない。小田氏はまた以下のようにも述べている。
まさにその通りであり、MasaGonは既存のマスコミに対する警鐘と受け取った。今後ジャーナリズムにおけるネットの重要性はますます大きくなって行くことであろう。
研修自体は、ジャーナリズムの歴史から始まり、ジャーナリズムの原則などの理論等の解説の後、取材の仕方、記事の書き方、ニュースリリースを基にした記事の執筆実習、報道写真の撮り方等を学び、最後に修了試験として理解度チェックを行った。
余談であるが、今回が第一回目の「パブリック・ジャーナリスト研修」であったようであり、ライブドアTVのカメラが入り、個人取材やライブドアニュース記者による取材も行われていた。栄えある第一期生というのは気持ちが良いものである。ホリエモンの社長日記に反応して即座に応募したかいがあったというものである。幸運の女神に後ろ髪は無しである。参加者は30名ほどであったが、既に全国から500名近い応募が来ているそうである。
本日をもってして、MasaGonの名刺には「フリー・ジャーナリスト」または「パブリック・ジャーナリスト」の肩書きが加わることになる。身近な情報をご提供頂ければ幸いである。もちろん、MasaGonの投稿記事には編集デスクのチェックが入るので、没になっても文句を言わないように。(笑)
♪この記事で「元気」が出たらここをクリック!
<↑Blog Rankingへの投票です。1日1クリックのご協力をお願いします。>
<↑Blog Rankingへの投票です。1日1クリックのご協力をお願いします。>
(23:29)
トラックバックURL
この記事へのトラックバック
1. ジャーナリストデビュー [ MasaGon日記 ] 2005年05月04日 21:57
MasaGon日記ファンの皆さんに経過を報告せねばならない案件がたくさん残っているのであるが、本日はその1つである「パブリックジャーナリスト」についてご報告させていただきたい。
まずは、下記の以下のURLをクリックして頂きたい。
http://news.livedoor.com/webapp
この記事へのコメント
1. Posted by 小田光康 2005年02月03日 22:16
masagonさん、PJの小田です。なんだか恥ずかしくなってしまうような、コメントをいただき、ありがとうございました。
講義で私が考える「報道の客観性」について、うまく説明できませんでしたので、ここでお答えいたします。これはある事柄について異質な他者が多数意見しあう状況そのものです。つまり、ある出来事について、いろいろな見方がたくさん集まって、それを読んだ人が正しい判断を下せる状況そのものだと思います。
ですから、小生は限定されたメディアによる少ないある出来事に関する記事では、人々はある出来事は客観的に評価できない状況に置かれてしまうことを問題視しています。
確かに、事実を追求している心あるジャーナリストはたくさんいます。ただ、彼ら自身の客観性はつたないものです。
来週月曜日からPJを本格稼動させますので、よろしくお願いします。
小田 拝
全体的に
講義で私が考える「報道の客観性」について、うまく説明できませんでしたので、ここでお答えいたします。これはある事柄について異質な他者が多数意見しあう状況そのものです。つまり、ある出来事について、いろいろな見方がたくさん集まって、それを読んだ人が正しい判断を下せる状況そのものだと思います。
ですから、小生は限定されたメディアによる少ないある出来事に関する記事では、人々はある出来事は客観的に評価できない状況に置かれてしまうことを問題視しています。
確かに、事実を追求している心あるジャーナリストはたくさんいます。ただ、彼ら自身の客観性はつたないものです。
来週月曜日からPJを本格稼動させますので、よろしくお願いします。
小田 拝
全体的に
2. Posted by 藤堂香貴 2005年04月02日 16:30
異質な他者が多数意見しあう状況 = 報道でも客観性でもありません
ただの意見の「主張」です。
http://maboroshi.de-blog.jp/
PJはジャーナリズムではありません。以上、読んでくださいね。
ただの意見の「主張」です。
http://maboroshi.de-blog.jp/
PJはジャーナリズムではありません。以上、読んでくださいね。
3. Posted by MasaGon 2005年04月02日 17:17
>藤堂さま、
貴重なご意見を有難うございます。
私も、ジャーナリズムを専門的に勉強してきたわけではなく、現状をもってジャーナリストと申し上げるのははばかられる気持ちはございます。
ただ、言葉の定義はともかく、PJの意義は大きいと思っているのです。PJという言葉が良くないのであれば、「パブリック評論家」でも何でも構いません。
藤堂さまの主張によれば、PJをジャーナリズムと言う事に違和感を覚えられているように思いますが、言葉の定義は少なくとも私にとっては重要な事ではなく、新たな時代におけるPJの意義について思うところが多いのです。
ちなみに私は、現在の報道の大きな問題の一つに、多くのジャーナリストがサラリーマンとして活動しているという事があると思っています。私は、組織の理論によらない、個人の自己責任による報道を好みます。
見る人の好みによっていろいろな選択肢があっても良いのではないでしょうか。
貴重なご意見を有難うございます。
私も、ジャーナリズムを専門的に勉強してきたわけではなく、現状をもってジャーナリストと申し上げるのははばかられる気持ちはございます。
ただ、言葉の定義はともかく、PJの意義は大きいと思っているのです。PJという言葉が良くないのであれば、「パブリック評論家」でも何でも構いません。
藤堂さまの主張によれば、PJをジャーナリズムと言う事に違和感を覚えられているように思いますが、言葉の定義は少なくとも私にとっては重要な事ではなく、新たな時代におけるPJの意義について思うところが多いのです。
ちなみに私は、現在の報道の大きな問題の一つに、多くのジャーナリストがサラリーマンとして活動しているという事があると思っています。私は、組織の理論によらない、個人の自己責任による報道を好みます。
見る人の好みによっていろいろな選択肢があっても良いのではないでしょうか。
4. Posted by 匿名さん 2005年04月13日 23:30
PJ制度やPJの方個々人の記事には賛同出来る部分もありますが
問題はその「色々な選択肢」とやらを、現状、小田氏が実質的に拒否している点ではないでしょうか。
色々な人の意見がある以上、批判的意見や匿名での意見も当然あってしかるべきものと思いますが、実名での意見もしくはPJからの意見しか受け付けないと取れる反応をされています。
団藤氏との一件に関しても、個人的には決してどちらか一方に共感するつもりはないですが・・・少なくとも小田氏のブログに書かれた「50歳を超えて受賞作どころか、本業で署名記事すら書けない輩の欲求不満の捌け口」だのといった書かれ方を見ておりますと、ジャーナリストという段階以前に、人として尊敬しかねる、というのが匿名者からの率直な感想です。
といっても、まあこれも小田氏から見れば「ダサ坊の捨て台詞」なのでしょうね。
問題はその「色々な選択肢」とやらを、現状、小田氏が実質的に拒否している点ではないでしょうか。
色々な人の意見がある以上、批判的意見や匿名での意見も当然あってしかるべきものと思いますが、実名での意見もしくはPJからの意見しか受け付けないと取れる反応をされています。
団藤氏との一件に関しても、個人的には決してどちらか一方に共感するつもりはないですが・・・少なくとも小田氏のブログに書かれた「50歳を超えて受賞作どころか、本業で署名記事すら書けない輩の欲求不満の捌け口」だのといった書かれ方を見ておりますと、ジャーナリストという段階以前に、人として尊敬しかねる、というのが匿名者からの率直な感想です。
といっても、まあこれも小田氏から見れば「ダサ坊の捨て台詞」なのでしょうね。
5. Posted by MasaGon 2005年04月17日 12:07
>匿名さん
貴重なご意見を有難うございます。が、少々誤解されているように思います。一度小田氏と直接会って意見交換をしてみてはいかがでしょうか。実名もしくはPJからの意見しか受け付けないと言うのは正しい理解ではないと思います。もちろん、PJという仕組みは、各々の記者が実名を出し、その身分をLDが担保する事により、その内容に責任をもつというスタンスである事は紛れもない事実です。しかし、匿名で意見を主張したり、議論できる場はインターネットの世界にはいくらでもございます。私もそういう場は必要と感じておりますが、同じ事をPJでやる意味や必要性は無いのではないでしょうか。
「団藤氏との一件」「小田氏のブログ」というのは私は内容を把握しておりませんのでコメントは出来ませんが、ともあれオンライン上での批判というのは、お互い言外の意図が読めませんから、あらぬ誤解を生むことになりかねないと日々思っております。
貴重なご意見を有難うございます。が、少々誤解されているように思います。一度小田氏と直接会って意見交換をしてみてはいかがでしょうか。実名もしくはPJからの意見しか受け付けないと言うのは正しい理解ではないと思います。もちろん、PJという仕組みは、各々の記者が実名を出し、その身分をLDが担保する事により、その内容に責任をもつというスタンスである事は紛れもない事実です。しかし、匿名で意見を主張したり、議論できる場はインターネットの世界にはいくらでもございます。私もそういう場は必要と感じておりますが、同じ事をPJでやる意味や必要性は無いのではないでしょうか。
「団藤氏との一件」「小田氏のブログ」というのは私は内容を把握しておりませんのでコメントは出来ませんが、ともあれオンライン上での批判というのは、お互い言外の意図が読めませんから、あらぬ誤解を生むことになりかねないと日々思っております。
6. Posted by 匿名さん 2005年04月18日 20:40
小田氏は
>小生やPJの批判をしたいなら、ライブドアのPJになって、それをやればいいのではないか。
とご自身のブログで書いておられますよ。
その真意が「批判したいならPJになれ」ではないとしても、
これをもって「正しく理解ではない」とか「PJでやる必要はない」とはとても受け取れないですね。
PJ個々人の方の記事や意見には、共感できるものもありますし、
PJの方のブログ等でこうして意見交換も出来ています。
しかし小田氏に限って云うなら、
お会いしたいと思えるような人物でもないどころか
PJの活動を妨げるような言動をなさっているのは
氏ご自身の方ですよ。
>小生やPJの批判をしたいなら、ライブドアのPJになって、それをやればいいのではないか。
とご自身のブログで書いておられますよ。
その真意が「批判したいならPJになれ」ではないとしても、
これをもって「正しく理解ではない」とか「PJでやる必要はない」とはとても受け取れないですね。
PJ個々人の方の記事や意見には、共感できるものもありますし、
PJの方のブログ等でこうして意見交換も出来ています。
しかし小田氏に限って云うなら、
お会いしたいと思えるような人物でもないどころか
PJの活動を妨げるような言動をなさっているのは
氏ご自身の方ですよ。
7. Posted by MasaGon 2005年05月04日 22:14
>匿名さん、
うーむ、困りましたね。それでは、私には匿名さんのために何かして差し上げられる事はありません。
もし、このブログを利用してご自身の意見を表明される事が目的なのであれば、匿名さんの目的は達成されているといって差し支えないでしょう。私のブログでは、スパムを除いて全て削除せずに保存させて頂くポリシーですので。
ちなみに私は、今のところ活動を妨げられているとは感じておりません。あくまでこれはPJとしての私個人の意見です。
ただし、団藤氏とのバトル(勉強させていただきました)に関しては、正直私にはどうでも良い事のようにしか思われません。議論の真のポイントがよく分かりませんし、どっちが正しいという時限の話でも無いような気がします。
うーむ、困りましたね。それでは、私には匿名さんのために何かして差し上げられる事はありません。
もし、このブログを利用してご自身の意見を表明される事が目的なのであれば、匿名さんの目的は達成されているといって差し支えないでしょう。私のブログでは、スパムを除いて全て削除せずに保存させて頂くポリシーですので。
ちなみに私は、今のところ活動を妨げられているとは感じておりません。あくまでこれはPJとしての私個人の意見です。
ただし、団藤氏とのバトル(勉強させていただきました)に関しては、正直私にはどうでも良い事のようにしか思われません。議論の真のポイントがよく分かりませんし、どっちが正しいという時限の話でも無いような気がします。
8. Posted by 藤堂香貴 2005年08月05日 12:14
>「パブリック評論家」でも何でも構いません。
呼び方が何でもいいようなものなら、なお定義が曖昧でスタンスも混乱するものとなるでしょう。評論家とか言わないと物が書けないのか、と。
>PJの意義について思うところが多いのです。
意義はどんなことにも存在しますからかまいませんが、個人の意見を「ニュース」「ジャーナリズム」として発信することには悪影響の懸念があるということです。
ジャーナリズムに必要なのは信用性のある客観性であり、個人の意見ではありません。つまりは、このブログで書かれていることには矛盾がないわけです。個人の意見ですからね。しかし、同じ内容でも「ニュース欄」にNEWSとして出るのは危険でしょう。
呼び方が何でもいいようなものなら、なお定義が曖昧でスタンスも混乱するものとなるでしょう。評論家とか言わないと物が書けないのか、と。
>PJの意義について思うところが多いのです。
意義はどんなことにも存在しますからかまいませんが、個人の意見を「ニュース」「ジャーナリズム」として発信することには悪影響の懸念があるということです。
ジャーナリズムに必要なのは信用性のある客観性であり、個人の意見ではありません。つまりは、このブログで書かれていることには矛盾がないわけです。個人の意見ですからね。しかし、同じ内容でも「ニュース欄」にNEWSとして出るのは危険でしょう。
9. Posted by 藤堂香貴 2005年08月05日 12:14
>個人の自己責任による報道を好みます。
それならライブドアは不要、このブログで十分ということになりますね。もちろん、やっていることをやめろというのではありません。それは報道でもジャーナリズムではないよ、ということです。一市民の声(ジャーナリズムより上です)ですよ、と。なぜジャーナリズムとか評論家とか、そういった肩書きが必要なのか解せません。
それならライブドアは不要、このブログで十分ということになりますね。もちろん、やっていることをやめろというのではありません。それは報道でもジャーナリズムではないよ、ということです。一市民の声(ジャーナリズムより上です)ですよ、と。なぜジャーナリズムとか評論家とか、そういった肩書きが必要なのか解せません。